2008年08月22日

赤ジャコネクション80


どうも〜!このコーナーは、赤ジャージの詩人の詩についてその詳細を書くコーナーです。
今回紹介する詩は
『足元の道に迷ったら、ずっと遠くを見ればいい』
と言う詩なのですが、多分僕は『迷った時は』と言うよりは、いつの頃からかずっと遠くを見て生きて来たんだと思いますが、皆様はどうでしょう?。
僕は多分、足元の一歩一歩を常に迷い続けているのです。だからこそ、ずっとずっと遠くに見える微かなヒカリに向かってヨチヨチと歩いているのだと思います。だけども僕は、この歩き方が間違っているとは思えないのです。なぜならやっぱ、足元の道ばっか見てその場その場でどちらかを選んで歩いていても、きっと何処へ辿り着く訳でもなく、もはや人生そのものに迷ってしまいそうだからです。
だからこそ、例え足元が真っ暗でも、ずっと遠くに見える微かなヒカリに向かってヨチヨチとでも歩き続ければ、何れは必ずそこへ辿り着く事が出来ると思うのです。
つまりは、僕が最も尊敬する、漫才師の横山やすしさん的に言えば『行く道はきっちり行かなしゃーないやないかい!』と言った所であると思います。
そんな事を言ってるこんな僕は、どこか強情に見えますが、本当は誰よりもモロくて弱い人間なのです。もしも遠くに見える微かなヒカリが無くなれば、僕はきっともう一歩たりとも歩く事なんて出来ないでしょう。ただのヤサクレにでもなればまだ良い方ですが、多分それどころではなくなると思います。
つまりは、僕はただそれだけの為に生きている人間であるに違い無いと言う事で、それ以外に生きている意味も目的も価値も無いんでしょうけど、僕としては願ったり叶ったりと言う所です…。
最後に、ずっと遠くと言えば、未来でもありまた過去でもあると思うのです。そこでここに、僕の記憶のずっと向こうにある消えない記憶を一つ。思い出せば記憶は尽きる事なく溢れ出して来るのですが、いつでも僕の記憶の中にフワフワと浮いているある映像があるのです。
僕が多分まだ三歳か四歳の頃のある日の昼くらい、僕は佐田岬半島にある実家の部屋に居て、横では当時八十歳くらいのひいお婆ちゃんが足を伸ばして座っていて、ずっと膝を撫でて居ました。何故その記憶がいつまでもフワフワと残り続けているのか分からないけれど、多分あの瞬間から僕の人生が始まったんじゃないかなと、僕はただそう思います…☆

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赤ジャージの詩人・河野広
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2008年07月29日

赤ジャコネクション81


どうも〜!このコーナーは、赤ジャージの詩人の詩についてその解説を書くコーナーです。
今回紹介する詩は
『時間が物事を進めるのではない、行動が物事を進めるんだ』
と言う、ほぉほぉなるほど、と思わず言ってしまうような詩なのですが、確かにその通りであると、我ながら自画自賛している所です。
僕もよく思う事なんですがね、後一年も経てばどうにかなるだろう、何か変わるだろうなどと、日頃思っております。しかし実際には、一年経っても二年経っても、行動をしなければ何も変わらないと言う事ですね。
つまり、日々の日常の小さな小さな行動が、物事に大きな進化をもたらすと言う事だと思います。
ところが僕は、このような詩を書いておきながら、自他共に認める行動しない奴なのです。
もう早くも夢を追い始めて十年ちょいも経っておりながら、行動派の人なら三年程度で到達しているような段階におる訳ですわね。言うてみたら僕なんて、人生三周分くらい遅れとる訳で、頑張っていかなあかんなぁ言うてる訳ですけどね。
まぁ僕の事はさて置きですよ。そう言う意味では、日本と言う国はとても行動派の人々によって造られている事は、まず間違い無いですよね。
だってその証拠に、今こそ今年一年を振り返って見よう!なんて言う、年末特番を見てると『えッ!これ今年の出来事やったの?えッ!これも今年やったの!?』なんて思う出来事が沢山ありますものね。
つまりはこれこそが、日本人が行動派である事の大きな証拠であると思います。
そう考えてみると、世界共通である一秒と言う時間の長さは、日本人の感覚からすれば割と遅いのではないかと思う訳です。
また、そう考えてみるとこのようにも考えられます。僕は、日本では決して行動派ではありません。しかし、もしも僕がどこか遠くの、まだ日本ほど文明が進化していない、行動力の無い国へ行って詩人を志せば、間違いなく、その国のトップになれるのではないか。いや、そればかりか、日々日常の僕の生活スタイルそのものにしても、その国の人々から見れば『あいつマジ!パなくなくなくない!?いやマジパないっしょ!?』と驚かれる事だと思います。
と言う訳ですので、日本全国の行動派ではない皆様、どうぞご安心下さい。
皆様は、日本だけで見れば、ただのグータラ人間かもしれません。しかし、世界規模で見れば、世界トップクラスの行動派人間なのです。恐怖のウルトラスピーディー人間なのです。多分…☆

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赤ジャージの詩人・河野広
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2008年07月06日

赤ジャコネクション82


どうも〜!マイクスタンドの高さを計るマイク。で有名な河野広です☆
このコーナーは、赤ジャージの詩人・河野生我の詩についてその詳細を書くコーナーです。
今回紹介する詩は
『人は、互いに不幸せを奪い合う事で、活きられる生き物である』
と言う、何とも哲学的要素満載の詩なのですが。
僕は思うのです。僕しかり、その他大勢の人々を見ていて。人は『自分は今とても幸せなのだ』なんて事は、聞かれないと言わないし、聞かれても中々言わないよなと。その代わり『自分は今とても不幸せで、笑う事すら容易に出来やしない』なんて事は、ワザワザ聞かなくても自分から言って来るよなと。
と言う事は一体どう言う事になるのかと考えると、つまり、人は互いに苦しみを奪い合ってまで『自分がイチバン苦しいんだ。』と言うような顔をする特殊な生き物な訳です。
街を歩こうが山を歩こうが海を歩こうが、大体今の世の中、皆苦しそうな顔をして歩いていますからね。自分がイチバン幸せだなんて顔をして歩いている人なんて中々居ないと思いますよ。大体は、人の幸せを妬み、そして自分の不幸せを見せびらかして歩いている訳ですから。
要するに、現実的に考えれば『んなアホな!』と言うような話ですが。今、この世の中の人々は、幸せのお団子で出来た山と、不幸せのお団子で出来た山とが、目の前にあるとすれば、皆が不幸せのお団子の山にムサボり着いている状態であると僕は察しておるのです。
ん〜まッ!世界中を見ればそうでもないかも知れませんが、日本だけを見ればこれは間違いなく言える事であると僕は察しておるのです。これも日本人の悲しい習性なのでしょうか。
確かに
『今お前が食ってるお団子は、幸せの味かい?それとも不幸せの味かい?』
と問われれば
『これが幸せの味ならとっくに人生やめとらや』
と、僕は間違いなく言うでしょう。
きっと人は、誰かに認めて欲しいのですよ、自分自身の不幸せを理解して欲しいのですよ。しかし、理解されずに不幸せを奪い過ぎた人が、悲しい事件を起こすのではないかと思う訳です。
もしも人が、不幸せではなく幸せを奪い合う生き物ならば、自分の方が他人よりも恵まれていると思い合える生き物であれば、世界は今より平和になるのではないでしょか?
はてさて、今あなたが食べているお団子は、幸せの味?それとも不幸せの味?…☆

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赤ジャージの詩人・河野広
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2008年07月03日

赤ジャコネクション83


どうも〜!アンパンマンより食パンマンの方が強いと思う。河野広です☆
このコーナーは、赤ジャージの詩人・河野生我の詩についてその詳細を書くコーナーです。
今回紹介する詩は
『人間なんかちっぽけな生き物ですよ、一人ぼっちじゃ、傷付く事さえ出来ないのだから…。』
と言う『大丈夫〜?おじちゃんが話聞いてあぎょかぁ〜?』と思わず言いたくなるような詩なのですが。
ぶっちゃけ、この詩はもう二年程路上に並んでおりますが、今日までに一枚しか売れておりません。全くの戦力外です。しかし、何か理屈ではない可愛さのようなモノが、この詩には秘められているような気がして、どうしても下げる事が出来ないのです。
ワザワザ皆様にここで報告するような事でもないかもしれませんが。僕の詩は今現在450作品程あるのですが、路上に出られる詩、いわゆる選抜ラインナップは、その中の僅か100作品なのです。後は殆どが二軍、つまり控え。そして、微々たるモノですが、今まで再三選抜に起用されておきながら、一度として売れた事のない戦力外が数作品です。
要するに、僕はポエムと言う選手達を仕切る詩人界の岡田監督なのです(スベッたんやこれも)。
またこれも、今あえてここで皆様に報告するような事ではないかも知れませんが。僕が松山大街道で路上詩人を開始してから早六年、六年間の総売上枚数は約六千枚です(ただの自慢ですけど)。つまり一年間に千枚売れておる計算になります(今僕はドヤ顔でこれを書いてます)。まぁ、欲を言えば万枚単位とか百万枚単位程売りたいと言う野望はありますが、そんだけ売れていたらもう僕は松山に居ませんわね…。
そして、その六千枚と言う売上枚数にめっさ貢献してくれているのが、先程言った選抜ラインナップであり、尚且つ、その中でも『あなたが生きていく中で必要な人になりたい、僕が生きていく中で、あなたが必要な人だから』と『僕が素直じゃないのはあなたが好きだから』と『情熱のある人生に後悔は無い』この黄金のスリートップに至っては、それぞれ三百枚以上売れてますからね(調子コイた事ぎり言うてすみません)。
ところがですよ!そんなお祭り騒ぎの中でたったの一枚…なんと…。赤ジャージの詩人は今『人間なんかちっぽけな生き物ですよ…』の詩を全力でゴリ押ししております。
と言う訳で、最後にこの詩の詳細などをガッツリ書こうと思うのですが…僕にもよう意味が分からんのよねぇ………分からんのかいッ!!…☆

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赤ジャージの詩人・河野広
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2008年06月25日

赤ジャコネクション84


どうも〜!このコーナーは、赤ジャージの詩人・河野生我の詩について、その詳細を書くコーナーです。
今回紹介する詩は
『今日の小さな損が、数年後には大きな大きな得になる…。』
と言う、実に心温まるピースフルな詩なのですが。
僕はですね、つい最近まで、目先の損得ばかりを考えて生きていました。とは言え、今も差ほど変わりはないのですが、今以上に目先の損得ばかりを考えて生きていました。
ところがです!それは実にカッチョ悪い生き方だと言う事に、つい先日やっと気が付いたのです。人々に『あいつはオチョコの裏だ』と言われても仕方がないような生き方である事につい最近やっと気が付いたのです。
具体的にそれがどう言う事かと言いますと、以前の僕でしたら、例えば山で桃を十個採って来たとしたら、十個とも自分で食べるようなカッチョ悪いオチョコの裏みたいな奴だったのです。
ところが今は違います。
山で桃を十個採って来たならば『お世話になっているあの人に五個あげよう』そう考えられるまでに成長致しました。別に見返りを期待してそうする訳ではありません。正真正銘の真心であります。
ただ一つ、不覚ながら思う事があるならば、今日僕はあの人に桃を五個あげた訳で、本来食べられるはずの桃を五個損したかもしれない、しかし、桃をあげたあの人が『いやぁ河野さんたら親切な方でねぇ』と、どこかで誰かに会う度に良い噂を流してくれるかもしれない。そしてその噂が広がり、また広がり、数年後には大きな大きな得となって我が手に返ってくるかもしれない。そう考えると、桃五個ごときなんぞ安いもんなんですわ(笑笑)
まぁその考え方もそこそこオチョコだと思いますがね。
しかしまぁ、何かが自分の手に入った時には、お世話になっているあの人に半分あげよう。例えその事を、自分が忘れてしまっても、相手が忘れてしまっても。真心としてそれを差し上げた時に、清々しい気分になれれば、それでいいじゃないすか。その事を忘れてしまうような、大らかな気分になれれば、それでいいじゃないすか…☆

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赤ジャージの詩人・河野広
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2008年06月12日

赤ジャコネクション85


どうも〜!一刻も早く消えて欲しいお笑いコンビはジョイマン。で有名な河野広です。
このコーナーは、赤ジャージの詩人・河野生我の詩についてその詳細を書くコーナーです。
今回紹介する詩は
「時間は常に同じ速さで流れる、しかし、その時間の中で流れるモノの速さは、その流れ方で変る・・・。」
と言う、何か物理の教科書に載ってそうな詩なのですが。分かりやすく言えばつまりこう言う事です。
何の目印も無い道をひたすらに歩いても、一体どれだけ歩いたのか、その距離が果たして長いのか短いのかも分からないですが、何か目印となる物が幾つかある道を歩いていると、目印の無い道と同じ距離を歩いたとしても「いやぁ、随分遠くまで歩いたなぁ」と感じられると思うのです。
例え、同じ距離の道でも、目印のある道を歩く事で遠くまで歩いたと言う錯覚を起こすのだと思います。つまりはこれが今回の詩の詳細です。
例えば、これを日常生活なんかで考えるとこうなります。
僕の生活で言うと、僕は普段基本的に無気力人間なのです。小学校の頃の夏休みの宿題同様、そこそこ来る所まで来ないと何にも手を付けようとしません。そして、それが結局溜まりに溜まって、最後の二日くらいでイッキに片付けてしまうのですが、その最後の二日間の濃厚さと言ったらないですね。喉の奥に絡み付く程に極めてイヤらしく、そして濃厚ですよ、そりゃ。それがどれだけ濃厚かと言いますと、二十四時間前が三〜四日前の出来事の様に思えるんですよ、これマジで!。
ところが、それに引き換え最後の二日間に至る前の十日やそこらの日々はね、極めてあっ気ないモノなんですよね。手を伸ばせば十日前の自分の頭をシバけそうなくらいあっ気ない日々ですよ、正味。
だからそう考えると、八十年タラタラと生きてる人が、四十年キビキビと生きて死んだ人を見て「可哀相に、短い人生だったろうなぁ」と思うのだろうけど、四十年キビキビと生きた人にとっては、八十年タラタラと生きてる人が感じた時間以上に、長い時間の人生を感じているのだと思いますね。
時間はすべての人に平等に与えられる、使い方はその人次第・・・☆

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赤ジャージの詩人・河野広
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2008年05月28日

赤ジャコネクション86


どうも〜!夜の港が似合う男2007準優勝の河野広です☆
このコーナーは、赤ジャージの詩人・河野生我の詩について解説していくコーナーです。
今回紹介する詩は
「君のその強さは、君よりも弱い人の為にある」
と言う、自分としては綺麗に収まった詩なのではないかと思っている訳なのですが。
僕が考えるに「上には上が居る」って言葉があるじゃないですか、最初この言葉を聞いた時には、自分が今からやろうとしている事や、今まさにやっている事の分野の中で、自分よりもそれが上手に出来る人、自分よりも優れた才能を持っている人が世の中には居る。と言う意味だと思っていました。しかし、最近考えるようになったのが、この言葉が持つもっと広い範囲での無限性なのです。
ある分野の中だけで、上には上が居る。と考えると、いつかは限りがあるような気がするんです。ところが、人は完璧ではない生き物だと思うし、どんな人にでも必ず欠点となる部分があると思うんです、それでこそ人は人だと言えると思うんです。
しかし世の中には、ある人が持つ欠点を逆に得意とする人が居て、更には、それを得意とする人が持つ欠点の部分を得意とする人が他に居る。
上には上が居る。
だけど、何か自分はその人より優れた部分を持っているかもしれない、だとすると、その部分で自分はその人から見て、上には上が居ると思われる人かもしれない。それをもっともっと大人数で考えて、自分はあの人よりもこの人よりも、またあの人はこの人やあの人よりもと考えていくと、これは無限に近いものになるのではないかと思うのです。
これをもっと分かりやすく拡大して言うならば、若い人は老人よりも体力がある。しかし、老人には若い人が持っていない知恵や経験がある。
また、物理的に女性より男性の方が力が強い、しかし、女性には男性が耐えられない痛みに耐える力がある。
と言う風にも考える事が出来ると思うのです。
先程も言いましたが、人はどんな人でも完璧ではなく、どこかに欠点となる部分を持っていてこそ人は人だと言えるのだと思います。
人は一人では完璧にはなれないのです。だからこそ、人と人とが集まり合い、互いに欠点を補い合い、そして初めて人々は完璧へと近付く事が出来るのではないかと思うのです。
すべての人には、誰かに支えてもらわなければならない部分があり、またすべての人には、誰かを支えられる力があるのです・・・☆

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赤ジャージの詩人・河野広
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2008年05月24日

赤ジャコネクション87


どうもホルンリンクル!河野広です☆
このコーナーは、赤ジャージの詩人・河野生我の詩についてその詳細を書くコーナーです。
今回紹介する詩は
『すべての人に許された最大の自由は、挑戦する事である』
と言う、極めて壮大な詩なのですが。挑戦をすると言う事は、ある種言葉よりも尊いモノなのではないかと僕は思うのです。
例えば『ご飯の時間まで何も食べたら駄目!』と言われた子供たちが、親の目を盗んでこっそりドーナッツを食べるように。
『タバコは家で吸え!』と言われているにも関わらず、校舎の裏で隠れて吸ってしまう高校生のように。
または、終身刑を言い渡された囚人が、ひそかに脱獄を目論むように。
死んだばかりの鈴木さんが天国と地獄の境目に立った時、何かまだ要領がよく分かってないバイトみたいな鬼に『え〜っと…鈴木さんは確か地獄ですね』と死人リストを見ながら適当に言われたにも関わらず、一瞬のすきを見て、天国への扉へ飛び込もうとするように。
挑戦をすると言う事はつまり、ある種言葉よりも尊い事なのです。
『駄目だ!やめろ!無理だ!』しかし、その言葉の脇には挑戦への道が伸びているのです。いついかなる場面でも、例え死んだ後でも、どのような言葉で押さえ付けられようと、挑戦をすると言う自由が絶たれる事は決してないのです。
ただ、もしもあるとすれば、唯一考えられる理由は一つ、自分自身です。自分自身の自分自身に対する言い訳と諦めです。それ以外に、挑戦をすると言う自由を阻害するモノは何一つとしてないのです。
と、言う訳なのですが、先ほどの例えだと何だか悪い事への挑戦自由みたいな、悪人応援歌みたいな感じになってしまいましたが、勿論そんな事はございません。良い事への挑戦、夢や希望への挑戦、どんな事に対してだって、全ての人には挑戦をすると言う自由が与えられているのです。
なので皆様、ガンガン挑戦していきましょう!どのような窮地に追い込まれても決して諦める事なく、限りない自由である挑戦をし続けていきましょう…☆

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赤ジャージの詩人・河野広
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2008年04月22日

赤ジャコネクション88


どうも〜!ハレンチ女学園に入学したい事で有名な河野広です☆
このコーナーは、赤ジャージの詩人・河野生我の詩についてその詳細を書くコーナーです!
今回紹介する詩は
『青春。何も持ってなかったあの頃に、本当はすべてを手に入れていたのではないかと、今になって、ふと思う…。』
ん〜、ちょっと余計な言葉が多くてリズム的に収まりが悪い気もしますが、言いたい事がハッキリしているので良しとしましょう。
いやぁありますよねぇ、思いますよねぇ。
まぁ、青春と一言に言いましても、人それぞれいつの頃を想い起こすかにはバラつきがあると思いますが、やはり一般的には中学・高校時代だと思います。
僕のその頃を想い起こしてみても、本当に何も持って無かったですね。唯一持っていたモノと言えば、自転車と百円ライターくらいでしょうか。それ以外には何も無かったと思います。
だけど、とにかく毎日が楽しくて笑いが止まらなかったですもんね。明日になるのが待ち遠しくて夜を果てしなく長く感じていました。
ザ・ブルーハーツ的に言えば『朝の光が待てなくて、間違った事もやった』状態でしたね。
ところが、今を考えてみるとどうだろうか?そりゃ今でも大したモノは持っていないです。ただ、あの頃に比べればお金もあるし、あの頃欲しくてたまらなかったモノも沢山持っています。しかし、そのようなモノを手に入れたにも関わらず、正直あの頃に比べたら全然楽しくないんですよね。ただ明日が来るのが恐くてしんどくて、ずっとこの夜が続けばいいのにと願った夜は数え切れませんよ。
あの頃欲しかったモノを手に入れたのに、それを手に入れる度に何かを失っている。そんな気がします。
自転車に乗って、友達とみんなで一日かけて越えた山。だけど、免許証を手に入れて車を手に入れてハンドルを握った瞬間、何か空しいんですよね。心にポッカリ穴が開いて、それまでそこに何があったのかももう分からなくて、空しいんですよね。
そんな空しさを埋める為に、また何かを欲しがっては手に入れて、また空しさを感じる。この先の人生がそれの繰り返しで終わっていくような気がして、何だかもうやってらんないわって感じで、トホホでやんす。
そう考えると、何も持っていない事や、何も知らない事が、本当は幸せってコトなのかも知れないですが、何かを持ち、何かを知っている今の僕は、もうそこへ戻る事は出来ないのかもしれないですね…☆

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赤ジャージの詩人・河野広
posted by 河野 広 at 21:42| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月24日

赤ジャコネクション89


どうも〜!このコーナーは、赤ジャージの詩人・河野生我の詩を解説してゆくコーナーです。
今回の詩は
『真相は常にその向こう側にある』
と言う、何とも心暖まる詩なのですが。
僕は思うのです。例えば、中学・高校生や、或はその年齢の人たち、広い範囲で言えば未成年の人たち。その子たちに向かって時に大人たちは言います
『親のすねかじってるくせに何やってるんだ』
と、例えば、道端に座り込んでコンビニのお握り食べたり、タバコ吸うてる子たちに。ただ、僕は思うのです。そう言ってる大人たちが、昔自分も同じ事をしてたんなら、その子たちに注意しても構わないと思いますが、もしも教科書とエロ本的なモノしか見た事が無くて、そんな経験をした事が無いのなら、注意する資格は無いと!
やってもないのに何を言うかと!それこそアンタ、死刑台に立たされても
『そんな事は経験せんでも分かる!今すぐ辞めろ!』
と言い続けられるのかと!もしそれだけの自信が無いなら、言わない方が良いと僕は思うのです。
やはりですね、これは僕の想像ではありますが、そう言う経験を若い頃にして来た大人ってのは、道端に座ってる子供を見ても何も言わないと思うんですよ。それは、自分も同じ事やってたから言えないとかじゃなくて、百%それが無駄だとは思えないからだと思います、何%かは今の自分の為になっているからだと思います。
つまり
『自分も昔あんな事してたな、しかしようあんなブサイクな事出来たな、今は頼まれても出来んで』
と。やはり、それを実際にやった人とやってない人とでは、つまりそれがどう言う事なのかを理解出来る度合いが違うと思いますよ、目線が違うと思いますよ。だから、それをやった事の無い大人がそんな子たちを見れば
『あいつらはクズや』
としか見えないかも知れないけど、実際にそれをやってた大人から見たら
『この子らがいつか大人になったら、きっと良い大人になるで』
と思うと思います。やはりどんなショーモナイ事でも実際にやらないとどうにも分からないモノですよ。やって初めて、それがどう言う風にショーモナイのかが分かる。しかし、やってない奴には、ただショーモナイとしか分からない。
要するに、ショーモナイ事を実際に経験した者にしか見えない答えがある訳で。失敗をした者にしか見えない答えがある訳で。真相は表面ではなく、その向こう側にあると思います。やはり、ショーモナイ事をショーモナイ事やと言うだけで、それを経験していない大人は、薄っぺらな見識しかなくて、狭い視野しかなくて、その向こう側は見えないんだと思います…☆

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赤ジャージの詩人・河野広
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2008年02月13日

赤ジャコネクション90


どうも〜!それでは今回も、赤ジャージの詩人・河野生我の詩について詳細を書いていきましょう!
今回の詩は
『どうにもならない今だからこそ、踏み出せる一歩がある』
と言う、実にメルヘンチックな詩なのですが(違うか!)。
まず、『どうにもならない今』と一言に言っても、やはりそこには様々な個人差がありますよね。
例えば、ある人は、ちょっとした失敗によって、人に怒られたとか、人に迷惑を掛けてしまったとか、或は人を傷付けてしまったとか、と言うような事でそう思うかもしれない。
ところがある人は、住む家が無くなり、金も無くなり、食べる物も着る物も何もかもが無くなって初めてそう思うのかもしれない。
そう考えると、それは実に幅広く様々です。
次に『踏み出せる一歩がある』って部分なんですけど。
話し戻りますが、僕はまぁまぁ平凡ちゃ平凡な生活環境の中で生きて来ましたから、住む家が無いレベルまでには至った事はありません。せいぜい、僕の経験の中での『どうにもならない今』と言えば、実家から百キロ離れた一人暮しのアパートで無一文になった時くらいでしょうか?(今でも時々そうなります)そうなった時ばかりは、さすがに何一つやる気にならないですね、正直。まさにお手上げです。
ところが、例えば、満ちていた潮が引いて、海の中から道が現れるように。お金があってある程度満たされている時には気付けない事が沢山あると思います。やはり、お金がある時と無い時とでは目付きとか見る場所が違いますからね。
お金が無い時には基本的に下を向いてお金を探してますから、普段は見ない場所を見る事による発見があると思います。また、お金がある時には到底気が付かないであろう節約方法や節約料理やより安い品物。また、気持ちの面においても、自然と、謙虚でかしこまった心持ちになるんですよね。
まぁ、お金の話しばっかりでなんか感じ悪い感じになっちゃいましたが、やはり、その他の色んな事においても、ハングリーな状態と言うのは時には必要だと思うんですよね。それによって一度何かをリセットする事が時には必要だと思うんですよね。
また、今まで書いたのは瞬間的な事でしたが、長期的な『どうにもならない今』についても、勿論これは言えると思います。やはり、どうにもならないハングリーな今だからこそ、出せる大胆なアイデアがあるだろうし、見付けられる道があるだろうし、踏み出せる一歩があると、思うんですよね…☆

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赤ジャージの詩人・河野広
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2007年12月12日

赤ジャコネクション91


どうも〜!と言う訳で今回も赤ジャージの詩人・河野生我の詩を解説していきたいと思います。
今回の詩は
『今日からでも、君は変われる』
と言う、なんか学習塾の窓に貼ってそうな詩ですが。僕としてはなかなか奮い立たされるようなパワーに満ち溢れた詩なのではないかと自画自賛している訳なのですが。
僕は思うんですよ、良からず悪からずと言った普通の奴と言うのはね、多分一生普通の奴だと思うんですよ。また、いわゆる『良い』と言われている奴は、常識で考えられる範囲で『良い』と言われながら、微笑ましい顔に包まれて一生を終えると思うんですよ。
ただですね『どうにもならん』と言われている奴と言うのは、一生どうにもならずに終わる奴と、ある日を境にロケット花火みたいに登っていく奴と二通りあるような気がするんですよね。ま、これは飽くまで僕の考えですがね。だから、今回の詩は、その『どうにもならん』と言われている奴を想い、描いた詩なんですよね。
僕も正直、昔から『どうにもならん』と言われて育って来た人間なんですよね。中には『お前はモノになるでぇ』と言ってくれた人も居ましたが、大多数の意見は前者でした。また、今日に至っても、昔みたいに直接は言われませんが、そう思われているような感じはしますね。
まぁしかし、基本的に僕は人から哀れな目を向けられれば向けられる程、なんか気持ち良くなる性質で、ある意味変態ですから、その方が楽なんですよね。なんか哀れな目で人から見られてると、こんくらいで目ん玉ひん剥くようでは、あんたは後三回生まれ変わっても凡人やわ。と思うくらいね。また、そう考えている自分の方が本当は飛んだバカで、人生大無しにしてるんかも知れないし。はたまた、ほ〜れ見ろと言う結果がこの先の未来にあるかも知れない。その目前に居る今が、何だか楽しくて気持ち良かったりもするんですよね。
正直僕は、十代の頃、こんなショーモナイ世の中で、夢以外に夢中になれるもんなんかないって思ったし、24歳になった今も正直変わらない。だから、もし俺が一生『どうにもならん』方の『どうにもならん』奴やと分かったら、親が死ぬのを待ってから、多分死ぬと思うな。もし夢が奪われたら、こんなクソ詰まらない世の中に用事なんか無いしね。だから、世の中の『どうにもならん』と言われている皆さん、皆さんは選ばれた人ですよ!
今回のこの詩に少しでも考える所があるならば、どうか胸のどこかにこの詩をしまって置いて下さい…☆

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赤ジャージの詩人・河野広
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2007年12月07日

赤ジャコネクション92


どうも〜!アダルトビデオ評論家で有名な河野広です☆
それでは今回も、赤ジャージの詩人・河野生我の詩を解説していきたいと思います。
今回の詩は
『幸せで居る為には、知らないで居る事がいちばん良い』
と言う、何だか、バイタリティーと言うモノが微塵も感じられない詩なのですが。結局、なんだかんだと考えた揚句、何も知らない事がイチバンの幸せなのではないかと僕は思う訳です。
例えば、実はあの頃、あなたの事が好きだったのとか。
例えば、六個入り300円のタコ焼き屋の10メートル先に、ハ個入り300円のタコ焼き屋台があったとか。
例えば、本当は自分は皆から嫌われているとか。
例えば、ショーモナイ事件だとか、恐ろしい事件だとか。
例えば、便利な電化製品や機械や乗り物だとか。
知らない方が良かった事って、世の中には沢山あると思うんですよね。
また、例えば、下水に沈んでる500円玉だとか。絶好の覗きスポットだとか。街角のちょっとしたいざこざだとか。接触事故現場だとか。女子高生のパンチラだとか。そのようなモノは、毎日街中で米俵の米の数くらい起こっているのに、日本中なら、世界中なら、もっともっと、砂浜の砂の数くらい起こっているのに。その中のほんの一粒程度の物事を目撃してそれを知ってしまう事で、時に人は憂鬱や不幸せを感じる。
毎朝毎晩、日本中では何万人もの女子高生が自転車で歩道を走ってるのに、目の前のほんの数枚のパンチラを見逃しただけで、どれだけ惜しい心持ちになる事か。他の事はどうあれ、目の前の些細な出来事を確実にしたいと言う矛盾。そう考えると情けないですね。だからやっぱり、知らない方が幸せなんですよ、きっと…。
だから、子供の頃は、何も知らなかったから幸せだったなぁ。大人になって、色んな事を知って臆病になったり、何でも知ってるような事言ったり。
何かを知る事は、損ではないけれど、結果的には得より損の方が多いのかな?そんな事を思う、二十四歳の今日この頃です。そして、不安な事は、このままもっともっと色んな事を知って、もっともっと歳を取ったら、もっともっと憂鬱や不幸せが増えるんだろうか?だから、僕より大人の人たちは、笑わなくて良い事で笑ったり、また、陰で顔をイガめたりするのでしょうか。だとしたら、僕はもう何も知りたくはない。歳を取りたくもない。だけど、知らなければならない事があるんだろうし。歳は必ず取るんだろうし…☆

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赤ジャージの詩人・河野広
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2007年11月21日

赤ジャコネクション93


どうも〜!このコーナーは、赤ジャージの詩人・河野生我の詩を、赤ジャージの詩人・河野生我自身が解説するコーナーです☆
それでは今回の詩は
『本当はみんな、寂しいんだ、泣きたいんだ、さけびたいんだ、だけど、その気持ちが分かるから、みんな誰かの為に、今日も精一杯、笑ってるんだ』
と言う、この世知辛い世の中にポッとほのかな明かりを点すような、温かい詩なのではないかと、自画自賛しておる訳なのですが。
僕には、寂しい時がありました、泣きたい時がありました、言葉にならない気持ちを叫びたい時がありました。だけど、そのどの時にも、近くに居る誰かが、僕を哀れむ訳でもなく、また慰める訳でもなく、ただ優しく笑っていました。
ところが、そのどの時にも、振り向いて去ってゆくその人の背中は、どこか寂しさに包まれているようにも見えました。
また、時には、僕の近くで誰かが寂しそうに膝を抱いていました。涙を浮かべてジッと一点を見つめていました。言葉にならない気持ちを不器用に叫んでいました。
そして、その時僕は、まるでいつかの自分をその誰かに見たような気がして、その人を哀れむ訳でもなく、その人を慰める訳でもなく。ただ、その誰かにとって、雲の切れ間から覗く太陽のような笑っていました。いや、ただそうやって傍で笑ってあげる事しか出来ませんでした。笑っている事に理由などはなくて、何が面白い訳でもありませんでしたが、ただ、誰かが沈んでいる時こそ自分が浮き上がってやらなければと思い、その小さな度胸を奮い立たせて、笑ってあげる事しか出来ませんでした。だけど、本当は、心が不安で震えていました。恐怖で背中が震えていました。
だけど…だから、ただ傍で、笑ってあげる事しか出来ませんでした…☆

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赤ジャージの詩人・河野広

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2007年11月15日

赤ジャコネクション94


どうも〜!このコーナーは、ワタクシ、赤ジャージの詩人・河野生我の詩について、その詳細をワタクシ、赤ジャージの詩人・河野生我が述べさせて頂くコーナーです。
それでは今回の詩は
『人を傷付けなければ、傷付く事なんかないんだよ』
と言う、実に切ない感じの詩なのですが。
僕は思います。人類が誕生して、イチバン最初に傷付いた人。その人が一体誰なのか、男なのか女なのか、そこまでは分からないですが。きっとその人が傷付いた理由は、人を傷付けてしまったからなのです。
そして、その時その人が傷付けてしまった相手の人はこう思ったに違いありません
『こちらが傷付いていると思い、この人は傷付いているかもしれない。自分のせいでこの人を傷付けてしまった』
そして同じく、傷付いたに違いありません。
このようにして、そのような事が繰り返され、今この瞬間にも世界中であらゆる人々が傷付いているのです。
考えてみて下さい、思い出してみて下さい。あなたが傷付いた日の事を、きっと、母に酷い事を言ってしまった。父に酷い事を言ってしまった。兄弟に酷い事を言ってしまった。友達に酷い事を言ってしまった。知り合いに酷い事を言ってしまった。またもしくわ、言動ではなく、傷付けるような事をしてしまった。からではないでしょうか。だからあなたはその日、傷付いてしまったのではないでしょうか。
人を傷付けると言う事は、自分自身を傷付けると言う事です。人を傷付けてしまった後悔から、自分自身が傷付くのです。きっと、きっと、余程の事でない限り、傷付けられた方の痛みの方が、傷付けた方の痛みよりも長く続く事はないのではないかと、僕は思いますから…。
人を傷付けなければ、傷付く事はないのです。また、人に傷付けられた時には、人を傷付る事の痛みを知っているならば、どうか、優しく、その傷を癒してあげる事が出来れば、いいですね…☆

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赤ジャージの詩人・河野広

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2007年09月30日

赤ジャコネクション95


どうも〜!FM愛媛のカモンアツマレディオとグレイトノイジークラブとの間に放送されているニュースの終わりのアナウンス『愛媛新聞ニュースをお伝えしました』は、確実に『愛媛新聞ニューシュをお伝えしました』と言っている。で有名な河野広です。
今回の作品は
『シンプルに考えれば、大したコトではない』
と言う作品なのですが、僕の中では言いたいコトがギュッと凝縮された作品なのではないかと自画自賛しております。
つまりは、僕のコトなんですけど。
僕は典型的なB型人間でありまして、全く計画性がありません、極めて適当人間です。更に、動物占いではゾウさんなので、なかなか動きません。耳は大きいけど人の話しも聞いてません。いわゆるダメ人間です。そんな僕だから、しょっちゅう色んなコトが嫌になります。
あれもやらなあかん、これもやらなあかん。とか考えてる内にイ〜〜〜ッてなって、結局全部が中途半端に終わってしまう傾向にあります。実に嘆かわしいです。
だけど、そんな僕ですが、今回の詩を閃いてからは若干考え方が変わりましたね。なんか、ほんの少しですが気持ちが楽になりました。なるほどシンプルに考えればいいのね、と。
全部まとめて考えるから嫌になる訳で、一つ一つ別々に考えれば『なんだ、たったこれだけじゃないか』と、思えるようになりました。逆に、自分は今たったこんだけの作業しかしていないのか、全く敏腕とは呼べない…と、チビッとだけ空しくなったりもしました。なので、最近はちょっとだけ僕も成長したらしく、一つ一つをシンプルに考えながら作業にあたれるようになったのではないかと思い上っております。
皆さんの中にも以前の僕のような人がおられましたら、何かの参考にして頂ければと思います…☆

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赤ジャージの詩人・河野広

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2007年09月29日

赤ジャコネクション96


どうも〜!得意なパートはメゾソプラノで有名な河野広です。
それでは今回の作品は
『あなたの周りに居る、好きな人の数が、あなたの心の広さなんです』
と言う作品なのですが、これは中々我ながら力作なのではないかと自画自賛しております☆
読んで頂ければ分かると思いますが、つまりは、周りに好きな人がたくさん居る人は、それだけ心が広いと言うコトですよね。
逆に『って言うかアタシの周りのヤツ〜。超感じ悪いヤツばっかなんだけど。』などと日頃から言っている人は、ま、もしかしたら本当にその人の周りの人が感じ悪いのかもしれませんが、大体はその人自身に問題がある場合が多いのではないかと思います。
ちなみに、僕はどうなのかと言いますと、ん〜正直、嫌いな人の方が多いですかね。普通に死ねばいいのにと思う人、やっぱ居ますものね。だけど、別に毎秒その人のコトを死ねとは思ってないですけどね。なんか自分に利益のあるコトをその人がしてくれたり譲ってくれたりしたら、その瞬間だけその人がめっさ輝いて見えたりしますものね。勝手ですよね…。
しかし、不思議です。この世界に今現在生きている人の中で、自分が関わりを持てる人の数なんて、多分、小指の爪の先程度なのに、その僅かな範囲の中で出会った人に対して人は『よりによってコイツと…』と思い『これは運命以外のなんでもない!』とも思い、騒いでいる訳ですから。ほんの小指の爪の先程度のコトで、究極と究極を見出だしている訳ですから。不思議です。いや、傑作ですよ…。
しかし、現実的に考えればやはり、一人の人の一生なんて、小指の爪の先程度のコトですから、その中で生きてゆくしかないのでしょう。と言うコトはつまり、こりゃどうしようもないわいと言う場合には、自分自身が変わるより他に策はないのではないのでしょうか。それがイチバン手っ取り早いと、僕はそう思う、今日この頃です…☆

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赤ジャージの詩人・河野広

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2007年09月10日

赤ジャコネクション97


どうも〜!赤い戦闘服を三着持っているコトで有名な河野広です☆
それでは今回も、僕の詩集の中より一つ発表したいと思います!
今回の作品は
『答えは無い、だけど、答えが無いからこそ、人は、信じ合い、想い合い、繋がり合える』
と言うような感じの詩ですが、この詩にもちゃんとした理由があります。ま、それは読んだ人が感じるコトではありますが。
僕が思う理由とは、やはり、生きているコトやいわゆる運命は存在するとかしないとかと言う話しがありますが、そのどれにも答えなんかはないんですよね。
どれが正しいんだろうと悩んだり、一度は何かを信じても、時が過ぎてまた考え方が揺らいだりして、きっとその繰り返しなのだと思います。
しかし、逆に考えれば、答えが存在しないからこそ、人は、形の無いモノを取り囲んで、それを信じ合い、想い合い、繋がり合えるのではないかと思います。形の無いモノだからこそ、信じるコトが出来るのだと思います…。
だから結局、答えなんかは無いんですよね。いくら考えても考えても、元々無いモノを見つけるコトは出来ませんから。だけど、ただ唯一あるとすれば、それは、人が、想い合い、信じ合い、繋がり合うコト。ただ、それだけなのではないでしょうか…☆

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赤ジャージの詩人・河野広

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2007年09月09日

赤ジャコネクション98


どうも〜!と言う訳で、今回も僕の詩集の中より厳選した詩について書いてみようと思います。
今回の詩は
『男なら、恩着せがましい友情はするな。男なら、貸した金は返って来ないと思え。男なら、泣く時は豪快に泣け』
と言う、僕の詩の中では若干長めな詩で、とにかく男とはを強調している詩なのですが。
そんなコトを言っている僕は、実はそんなに男らしくはありません。と自分では深く思っております。極めて女々しい奴です。と、自分では深く思っております。具体的にどんな所が女々しいのかと問われると、女々しい僕には恥ずかしくて言えません。
ところが、そんな僕ですが、今回書いた詩が言っている、男とはの三つの条件はクリアしているのではないかと思っておるわけです。
まず一個目の『恩着せがましい友情はするな』ですが、そりゃやっぱ男やったら、アレやってやったんやからコレやってくれへんけ?みたいなコトは言うもんじゃないですよね。なんもいらん、やったるわ!みたいな威勢の良さは欲しいですよね。まぁ言うても僕は自分がやりたいコトと出来そうなコトでしかそんなコト言えないですけどね。
次に二個目の『貸した金は返って来ないと思え』と言うのはつまり、金を貸す時にはそいつにやるつもりで貸せってコトですがね。ま、僕の場合はお人好しなので、貸した金が返って来なかったら『あら〜この人忘れてはるんやろか〜。かなわんな〜。』とか言いながら、終いには『まぁええか』で片付けてしまうマスオさんタイプでして、いわゆるダメな父親タイプなだけなんですけどね。ホンマのトコ言うたら、出来れば返って来ては欲しいですけどね…。
んで最後が『泣く時は豪快に泣け』ですが、僕はもう黒部ダム決壊か!?って言うくらい泣きますからね。今でも一人で声だして泣く時あるし、人前で泣く時もあるし、もうなんでか知らんけど堪えられないですよね。その直前の出来事が原因の時もあれば、それがきっかけで何か心の奥に潜めてたモノが溢れ出す時もありますけど、ホンマとにかくオイオイ言うて泣きますからね。まぁ、豪快に泣け言うても、そないしょっちゅう泣く奴を男らしいとは言えんから、まぁ一生に一回か二回の話しですよね、これは。
そんな所でしょうか。まぁ、偉そうなコト言うてますけどね、俺なんかまだまだ、男か女か分からんようなクソガキなんですけどね…☆

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赤ジャージの詩人・河野広

posted by 河野 広 at 00:41| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月30日

赤ジャコネクション99


どうも〜!このコーナーは、ワタクシ河野広コト赤ジャージの詩人の詩とその詳細を紹介してゆくと言う、もっと前からあってもよかったんじゃないかと言うコーナーです☆
それでは今回の詩は
「花は、咲くべき時を、知っている」
と言うですね、何ともシンプルな詩なのですが。
え〜、皆さんは、花を種から育てた経験がありますか?ちなみに僕は個人的にはありませんが、小学校低学年の頃、強制的にアサガオを育てさせられました。
そして、僕と同級生のK崎くんのアサガオだけ、何でか咲きませんでした。と言うか、アサガオの芽すら出ておらず、草しか生えてませんでした。そのあまりにショッキングな出来事に、僕とK崎くんのその後の小学校生活は思い出す事も躊躇う程に寂しいモノでした。
しかし、今思い起こしてみれば、アサガオが咲こうが咲くまいが、それによってショックを受けようが受けまいが、僕とK崎くんとはクラスでも目立ってショボショボ君二人組だった訳で。
例えば、クラス全員で一斉に始めたタケウマも一輪車も最後まで二人だけ乗れなかったし。
足し算引き算の計算も二人だけ100点獲れなかったし。
そう考えると、アサガオが咲かなかった理由も自ずと分かるような気もしないでもないです…。
花は、生きていますから。花は、咲くべき時を知っていますから。きっと、僕とK崎くんのそのクスリとも笑えない有様を見て、咲くに及ばないと判断して自ら枯れ果てたのでしょう…。
花を育てると言う事はとても難しい事です。いくらこちらが焦って、水をやろうが肥料をやろうが、聞いてもいやしないのに見つめて話し掛けようが、いざその時が来なければ咲かないのです。その人の状態が整い、準備が出来た事を確認した上で初めて咲くのです。その人が、その咲いた花ビラを見て、最も多くのモノを得られる時を見計らい、花は咲くのです。
なぜなら、花は生きているからです。花は、咲くべき時を知っているからです…☆

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赤ジャージの詩人・河野広
posted by 河野 広 at 11:25| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする